医療現場、福祉現場、法律事務所、企業経営にも小学校教育が必要

まさにそう。
僕はこれまで、医療現場、福祉現場、法律事務所、企業経営……いろんな世界を見てきた。
どの現場にも、それぞれの専門性や使命感があって、日々懸命に働く人たちがいる。けれど、共通して「欠けている」と感じたものがある。それが「小学校教育にある、人と向き合う力」だ。

医療の現場では、命を扱う。患者一人ひとりの人生、背景、感情に向き合うことが求められる。
でも実際には、忙しさに追われ、心がすり減り、患者の“人間としての痛み”よりも、数字や効率を優先せざるを得ない状況が多い。
福祉の現場でも同じ。利用者の「心」に寄り添うと言いながら、制度や時間に縛られ、形だけの支援になってしまうことがある。
法律事務所でもそうだった。法律という正義の名のもとに、「人の感情」を置き去りにしてしまう。正しいことをしているはずなのに、誰かが傷つき、誰かが救われない。
つまり、どの現場にも共通する問題がある。
「人を人として見る」ことができていない。

なぜそうなるのか。
突き詰めると、それは「小学校教育の本質」を経ていないからだと思う。
小学校というのは、ただ国語や算数を学ぶ場所じゃない。
あそこでは「人との関わり方」を学ぶ。
「人を大切にするとは何か」を体験的に覚える。
「ありがとう」「ごめんなさい」「どうしたの?」「一緒にやろう」――そういう言葉が自然に出る環境。
あの空間こそが、人間の基礎をつくっている。

社会に出ると、誰もが「できる人」「優秀な人」になろうとする。
でも、できる以前に「感じる人」でなければ、現場は荒れる。
患者の小さなサインに気づけない看護師、利用者の本音を聞けない福祉職員、依頼人の心を理解できない弁護士、そして社員の声に耳を傾けない経営者。
みんな、どこかで「人を感じる力」を置き忘れている。

小学校教育の本質とは、まさにその「感じる力」を育てることだ。
子どもたちは、毎日、喧嘩したり、泣いたり、仲直りしたりしながら、「人ってこういうものか」を体で覚えていく。
友達を傷つけて、後悔して、謝って、許されて、また笑う。
この体験の繰り返しが、「人との距離感」「信頼」「共感」という、人間関係の土台をつくる。

ところが、社会に出ると、この当たり前の感覚が薄れていく。
「利益」「効率」「立場」「責任」――こうした言葉の影で、本来一番大事な“人のぬくもり”が消えていく。
その結果、どんなに知識や技術を磨いても、現場の空気はギスギスし、離職者が増え、組織が崩れていく。
それを目の前で何度も見てきた。
だから僕は断言できる。
医療も、福祉も、法律も、経営も――すべてに「小学校教育」が必要だと。

では、どうすればいいか。
まず、大人が「小学生の心」に戻る場をつくること。
そこでは肩書きも役職も関係ない。
院長も、施設長も、所長も、経営者も、みんな「一人の人間」として向き合う。
話を聞き、思いを受け止め、時には喧嘩してもいい。
自分の気持ちを正直に出す練習をする。
「正しさ」より「本音」を大事にする時間を持つ。
これが第一歩だと思う。

もう一つは、「小学校的な教育メソッド」を現場に導入すること。
たとえば――
・朝の会のように、毎日5分でも“心の状態”を共有する時間をつくる。
・トラブルが起きたら、罰ではなく「対話」で解決する。
・役職の上下を越えて、“ありがとう”と“ごめんなさい”を言える文化をつくる。
・成果よりも、「助け合い」や「思いやり」に焦点を当てて評価する。

これは単なる理想論ではない。
現場にこれを取り入れたチームは、確実に変わる。
僕が関わった福祉施設では、利用者とのトラブルが減り、スタッフ間のコミュニケーションが活発になった。
法律事務所では、所内ミーティングの雰囲気が和らぎ、若手が意見を言えるようになった。
経営の現場でも、社員の離職率が下がり、むしろ生産性が上がった。
理由は簡単だ。
「人が安心できる場」では、人は自然に力を発揮する。

小学校教育の根っこは、“安心”なんだ。
失敗しても許される。
間違えても、みんなで助ける。
ここが崩れると、どんなに優秀でも人は心を閉ざす。
だからこそ、経営者や専門職たちが、いま改めて“小学生になる”ことが大事なんだ。

医療も福祉も法律も、究極的には「人の幸せ」を支える仕事だ。
けれど、幸せを支えるには、まず自分が「人間らしく」生きていなければならない。
どんなに立派な理念を掲げても、人を感じる力がなければ空虚になる。
それを取り戻す鍵が、「小学校教育」だと僕は思う。

いま、世の中は複雑になりすぎた。AIも発達し、効率化が進み、何でも数字で測ろうとする。
だけど、幸せも、信頼も、命の重さも、数字では測れない。
それを教えてくれたのは、病室で患者が流した涙であり、施設で笑った子どもの笑顔であり、依頼人が見せた安堵の表情だった。
あれこそが、「生きる」ということの原点。

だから僕は、これから「経営者のための小学校教育カリキュラム」を本気でつくりたい。
目的はただ一つ――
「人を大事にできる人」を育てること。
そのために、授業では勉強ではなく、体験を重視したい。
たとえば、掃除、給食、合唱、話し合い、地域との交流。
子どもたちが毎日している“あたりまえ”を、大人がもう一度やる。
その中に、人間関係のすべてが詰まっている。

小学校教育とは、決して子どものためだけのものじゃない。
社会の根幹をつくる教育であり、大人がもう一度受け直すべき教育でもある。
医療、福祉、法律、経営――どの世界も、そこに戻らなければ、本当の意味で「人を幸せにする仕事」はできない。
そう、僕は心からそう思っている。

By yous

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