この教育は中学校、高校、幼稚園でもなく、小学校にある
――働いてみて分かった、本当の「人を育てる力」――
社会に出て働いてみて、いろんな人と出会い、いろんな組織を見てきた。
そして気づいたことがある。
結局のところ、「人を育てる教育」は、幼稚園でも、中学校でも、高校でもなく――小学校にこそある、ということだ。
大人になってから気づくことだけど、あの小学校の教室の中には、人を育てるすべての原点が詰まっていた。
勉強よりも、点数よりも、「人とどう関わるか」「どう向き合うか」「どう支え合うか」――
その全部を、小学校で教わっていたのだ。
けれど、当時はそんなこと、全くわからなかった。
子どもはただ「先生に怒られた」「宿題が多い」と文句を言っていた。
でも、大人になり、経営をして、人と真剣に向き合うようになって、初めてわかる。
あの頃の先生たちは、ただ“勉強を教える”のではなく、“人間を育てていた”のだと。
■ 働くということは、「人」と関わること
社会に出ると、誰もが最初に感じる壁がある。
それは「人間関係」だ。
どんなに優秀でも、どんなに技術があっても、人と協力できない人は続かない。
上司とうまくいかない、同僚と衝突する、部下がついてこない。
そんな悩みが、どの職場にもある。
そして思うのだ。
人と関わる力って、どこで学ぶんだろう?
大学では教えてくれなかった。高校でもそんな授業はなかった。
でも、小学校にはあった。
たとえば、給食当番。掃除の時間。運動会。学級会。
誰かがサボったら、誰かがフォローする。
みんなで話し合って、ルールを決める。
意見がぶつかって、泣いたり、仲直りしたり。
あれこそ、社会の縮図だ。
働いてみて分かった。
あのときの「みんなでやる」「助け合う」「話し合う」「思いやる」が、今の社会を生きる力のすべてだった。
■ 小学校の先生の「まなざし」
思い返すと、小学校の先生って、すごかったと思う。
一人の子どもが落ち込んでいたら、すぐに気づいてくれた。
喧嘩をした子がいれば、両方の話を聞いてくれた。
「あなたが悪い」ではなく、「どうしたの?」と寄り添ってくれた。
あの「まなざし」は、教育者としてだけでなく、
リーダーとして、人を導く原点だと今は感じる。
職場でも、同じことが起きる。
部下が落ち込む。誰かが孤立する。
でも多くの上司は、「忙しいから」とスルーしてしまう。
けれど、心の目で見れば、すぐに分かる。
「この人、何かあったな」と。
そして声をかける勇気があれば、職場の空気は変わる。
小学校の先生は、そうやって子ども一人ひとりの「心」を見ていた。
だからこそ、教室という小さな社会が成り立っていたのだ。
■ 中学や高校では「競争」が始まる
一方で、中学校や高校に上がると、教育の軸が変わる。
成績、偏差値、部活の順位。
評価と競争の世界に入っていく。
もちろん、それも大事だ。社会は競争の連続だ。
でも、そこで失われていくものがある。
それは、「人を思う心」だ。
テストで順位をつけられ、他人と比べられ、勝ち負けで判断される。
その中で、子どもたちは次第に“他人に優しくする余裕”を失っていく。
「自分が勝たなきゃ」「負けたくない」と思うようになる。
でも、社会に出てみれば分かる。
本当に信頼される人間は、勝ち負けではなく「人を支える人」だ。
本当に成果を出すチームは、個人の能力よりも「関係の深さ」で動いている。
だから私は思う。
人の心を育てる教育は、中学や高校では遅い。
すでに小学校の時点で、芽が出て、根が張る。
その時期に、「人と生きる」ことを教えられるかどうかで、その後の人生が決まるのだ。
■ 幼稚園はまだ「守られる世界」
幼稚園も大切な時期だ。
ただ、あの頃はまだ「守られている」世界だった。
親も先生も、子どもを包み込んで守ってくれる。
だから、まだ“社会”ではない。
小学校に入ると、自分の意思で動くようになる。
「自分で考える」「相手と話す」「ルールを守る」「謝る」「我慢する」
そういった“人間の土台”がつくられる。
つまり、幼稚園は「愛されること」を学ぶ場所。
小学校は「愛すること」を学ぶ場所。
この違いは大きい。
社会に出て必要なのは、「与えられる人」ではなく、「与える人」だ。
小学校で「人のために動く」経験をしてきた人は、大人になっても、自然と人を支えることができる。
■ 働いてみて気づく、小学校教育の「力」
私は社会人になってから、いろんな現場を見た。
利益を優先する会社、効率だけを追う組織、人を使い捨てるような経営。
数字の上では成功しているように見えても、
どこか冷たく、温もりがない。
その中でふと、小学校の教室を思い出した。
笑い声があって、失敗しても励ましがあって、誰かが転んだら誰かが助ける。
あれが“組織の理想形”だったのだと気づいた。
大人になると、みんな「正しさ」で人を裁こうとする。
でも、小学校の先生たちは、「気持ち」で人を導いていた。
「間違ってもいい」「やり直せばいい」「みんなで考えよう」
この柔らかさ、この人間味が、社会には欠けている。
働いてみて分かった。
小学校教育には、社会で一番必要な「人間の根」がある。
知識でも、スキルでもなく、人として生きる力だ。
■ 経営者になって見えたもの
私は経営の現場で、人の成長を見てきた。
人は、環境で変わる。
人は、信じてもらうことで変わる。
社員を育てるときも、結局は小学校の先生と同じだ。
叱るだけでは育たない。
放っておいても伸びない。
信じて、待って、励まして、関わり続ける。
それを繰り返す中で、人は花開く。
つまり、経営とは「教育」そのものだ。
数字ではなく、人を育てる仕事だ。
そして、その教育の原点は――やっぱり、小学校にある。
子どもたちが、互いを尊重し、助け合い、共に成長していく。
その中に「経営の理想形」がすでに存在している。
■ 今、社会に足りないもの
今の社会には、学歴も、技術も、情報も溢れている。
でも、「人の心を感じる力」が足りない。
他人の痛みに鈍感で、困っている人に気づけない。
SNSでは「共感」が溢れているように見えても、
実際は、人の心が分からないまま言葉が飛び交っている。
本当に必要なのは、“人と真剣に向き合う教育”だ。
それは中学校でもなく、高校でもなく、小学校にしかできない。
なぜなら、小学校の教育だけが「結果よりも過程を見てくれる」から。
「正解よりも、心を育てよう」とするから。
小学校では、子どもの「心の成長」が教育の中心にある。
それを社会が忘れてしまった今、
もう一度、経営も、教育も、原点に戻る必要がある。
■ 結論:人を育てる力は、小学校にある
働いてみて分かった。
人と関わる力、信じる力、支える力――
全部、小学校で学んでいた。
それは教科書の中には書かれていない。
でも、教室の空気の中に、先生のまなざしの中に、
友だちとの出来事の中に、生きていた。
大人になって忘れていたけれど、
あのときの「ありがとう」「ごめんね」「一緒にやろう」が、
今の仕事、人間関係、経営のすべてにつながっている。
小学校教育とは、
“人を人として育てる”最後の場所だ。
そして、社会の本当の課題は――
大人たちがその教育を忘れてしまったことにある。
私は思う。
経営者も、教育者も、親も、もう一度「小学校の心」に戻るときだ。
そこに、未来の人づくりの答えがある。