――人と向き合い、人を大事にする力――
経営者教育を語るとき、多くの人が思い浮かべるのは「経営戦略」「マーケティング」「財務」「DX」「組織論」といった、いわば“経営の技術”の部分だろう。
だが、私が思う経営者教育の本質は、そんな表層的な「技術」ではない。
むしろ、経営者という立場に最も欠けがちな「人間力」、そして「人と向き合う力」「人を大事にする心」こそが、今の時代に求められている。
私はこれまで、数多くの経営者や幹部と接してきた。皆、それぞれに優秀だ。だが一方で、どこか冷たく、他人との関係を避け、数字だけを見つめるような経営者が増えていることも感じる。
まるで、人を「管理」しようとし、人を「効率」で測り、人を「評価」で裁くような風潮が、経営の世界を覆っている。
しかし、経営とは本来、“人の上に立つ”ものではなく、“人と共に立つ”ものである。
経営者とは、企業という小さな社会の中で、働く人の人生に寄り添い、光を当て、可能性を開かせる存在でなければならない。
では、その力はどこで育まれるのか?
――私は、それは「小学校教育」にこそ、ヒントがあると確信している。
■ 小学校教育が教えてくれる「人との向き合い方」
小学校の教室では、先生が一人ひとりの子どもに目を向ける。
学力の差、性格の違い、家庭環境――すべてを含めて、子どもたちの成長を見つめ、支える。
そこには「管理」ではなく「関わり」があり、「評価」ではなく「信頼」がある。
私はこれこそが、本来のリーダー教育であり、経営者教育の根幹だと思う。
子どもが泣いたり、怒ったり、喧嘩したり、時に先生に反抗したりする。
そんな姿を前に、教師は「どうしたの?」「何があったの?」と心で寄り添う。
その“対話”こそが、教育の原点であり、経営の原点でもある。
経営者もまた、社員がミスをしたとき、売上が落ちたとき、離職が出たとき――
そこで「数字」で見るか、「心」で見るかが、会社の命運を分ける。
小学校の先生が「あなたの中に光がある」と信じて子を導くように、経営者もまた「人の中の光」を見抜く眼を持たねばならない。
この眼は、MBAの講義や経営塾では教えてくれない。
だが、小学校の教室では、日々自然に、当たり前のように育まれているのだ。
■ 経営者が「子ども心」を失った瞬間に、企業は腐る
大人になると、多くの経営者は「損得」で物事を考えるようになる。
「この社員を残すと利益になるか」「この事業はリスクが高い」
判断の軸が、すべて数字と打算に変わっていく。
しかし、子どもの世界には「損得」がない。
子どもは、ただ「楽しいから」「うれしいから」「友だちのために」と動く。
そこにこそ、純粋な人間の力がある。
小学校教育は、まさにその“子ども心”を守り育てる場所だ。
子どもが泣けば、誰かが寄り添い、転べば、誰かが手を差し伸べる。
この小さな優しさの連鎖が、「社会」をつくっていく。
経営者教育も、これと同じであるべきだ。
経営とは、数字を動かすことではなく、人の心を動かすこと。
社員の中に眠る“子ども心”を呼び覚ます力を持つ経営者こそ、真のリーダーである。
企業が腐るのは、赤字になったからではない。
人の心が冷め、関係が切れ、誰も人を信じなくなったとき――
すべての衰退が始まる。
■ 「人と向き合う力」は、痛みを通してしか育たない
小学校では、喧嘩もある。いじめもある。
先生はその現場に立ち会い、子どもたちと一緒に涙を流しながら、解決を探る。
“人と向き合う”とは、決して優しいことではない。
むしろ、最も苦しく、最も時間がかかることだ。
だが、そこからしか「本当の教育」は生まれない。
そして、それは「経営」においても同じである。
社員同士の摩擦、上司と部下の衝突、社長への反発。
多くの経営者は、その場面を「面倒だ」と避ける。
「そんな時間があるなら売上を上げろ」と。
しかし、本当のリーダーは逃げない。
対話を恐れず、人の痛みに向き合い、心を聴く。
そうして築かれた信頼の絆が、やがて組織の最大の資産になる。
小学校教育の本質とは、「痛みを共にする教育」である。
経営者教育も、同じ覚悟を求められているのだ。
■ 経営とは「教育」である
私は、経営とは単なる事業運営ではなく、「教育活動」だと思っている。
会社とは、人を育てる場であり、魂を磨く場であり、社会の縮図である。
だから、経営者は教育者でなければならない。
教育とは、「信じること」から始まる。
人は誰でも、信じられると成長する。
そして、信じられないと、腐っていく。
小学校の先生が、子どもに「あなたならできる」と信じるように、
経営者も社員に「お前には未来がある」と信じてやれるかどうか。
その一言が、人を救い、会社を変える。
経営の本質は「人の開花」であり、教育の本質もまた「人の開花」である。
だからこそ、経営者教育の中に“小学校教育”のエッセンスを取り戻すことが必要なのだ。
■ 経営者に必要な三つの「学び」
私は、これからの時代の経営者教育において、特に三つの学びが欠かせないと感じている。
① 共感の学び
人の痛みを感じ、心を通わせる力。
共感とは「同情」ではなく、「共に感じる」こと。
経営者が社員の立場に立ち、共に悩み、共に喜ぶとき、組織は生き物のように動き始める。
② 対話の学び
意見の違いを超えて、心で向き合うこと。
会議ではなく、対話。指示ではなく、聴くこと。
経営者が「答え」を出すのではなく、「問い」を共有することで、人は自ら考え始める。
③ 信頼の学び
信頼とは、結果ではなく「先に渡す」もの。
子どもが先生を信じて学ぶように、社員もまた、経営者の信頼を受けて育つ。
経営とは、信頼の循環をつくる仕事である。
■ これからの経営者に問われるもの
時代は大きく変わっている。
AI、DX、グローバル化――どれも大切だ。
しかし、その中心に「人」がいなければ、すべては空虚になる。
会社とは、人の心でできている。
社会とは、人の絆でできている。
そして経営とは、その“心”と“絆”を紡ぐ営みだ。
だから私は言いたい。
経営者教育にこそ、小学校教育が必要だ、と。
数字や理論ではなく、
「人を見つめる目」「人に寄り添う心」「人を信じる勇気」。
小学校の先生が、教室で一人の子どもに手を差し伸べるように、
経営者も、社員一人ひとりに光を届ける存在でなければならない。
■ 経営は「心の教育」である
最後に、私はこう結びたい。
経営とは、心の教育である。
そして、心の教育とは、人を幸せにする力を育てることである。
利益や拡大の前に、
「この人を幸せにできているか?」
「この会社にいる人は笑顔か?」
それを問い続ける経営者であってほしい。
その姿勢こそが、
子どもたちが先生を信じて成長していくあの温かさと、
まったく同じものなのだ。
経営者教育を変えるとは、
社会の教育を変えることである。
そしてその原点は――
小学校の教室の中に、すでに存在している。